50年後100年後 未来を見据えて
野田宏規
(のだ ひろき)
生年月日:1989年(平成元年)4月13日
スポーツ経験:ラグビー、ボクシング、バスケットボール、水泳、ボルダリング、バレーボール
身長体重:176cm 62kg
海外渡航経験:
アメリカ、イギリス、イスラエル、イタリア、インドネシア、エジプト、エストニア、
オーストラリア、オランダ、韓国、シンガポール、スペイン、タイ、トルコ、バチカン、
パレスチナ、フィンランド、フランス、ブルネイ、マレーシア、ヨルダン
好きな音楽:
レッド・ホット・チリ・ペッパーズ
システム・オブ・ア・ダウン
レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン
流山市立八木北小学校に入学。生徒の自主性を重んじる、素晴らしい学校だった。
高学年になると、児童会執行部に立候補するなど、今の流山への想いも、ここが始まりかもしれない。
ボーイスカウト流山第三団に入団。毎週のように森に行って、駆け回り、どこかを怪我して帰った。当時は何とも思っていなかった、その経験が、今の自分の行動力や明るさに繋がっていると感じる。
流山市立常盤松中学校に入学。バスケットボール部に入部し、生徒会執行部も立候補する。思春期真っ只中、人間関係も複雑になったが、人に対していつでも真剣だった。
ボーイスカウト活動も本格化。毎月のキャンプを通して、大自然の偉大さ、チームワークの重要性、非常時に備えることの大切さを学んだ。
流山市内の塾クセジュに入塾。教科書のコトバの背景には、長大な人類の営みがあるという、学問の奥深さを教わった。
学問に対する考え方はがらりと変わり、猛勉強。今の読書癖もこの頃の影響が色濃い。
芝浦工業大学柏高等学校に入学。ラグビー部に入部。練習、練習、練習の毎日で、たまのオフでも試合のビデオ分析が欠かせない。
努力と忍耐で、花園予選千葉県大会第3位。試合終了のホイッスルと同時に泣き崩れたが、その仲間は今、自分の活動の理解者となって、支えてくれている。
同志社大学文化情報学部に入学。広告研究会や海外ボランティア団体に入会。京都での学生生活は日本と流山の文化を見つめなおす大切な機会となる。講義の他、フリーペーパーの編集やビジネスコンテスト等を通して、社会で求められる誠実さを徐々に学んでいく。
長期休みには、世界中に足を運ぶ。特に、イスラエルでは、生まれ育った環境も年代も違う人々と、世界はどのようになれば平和になるのか、毎日議論した。
海外での議論で、日本の政治の重要性を感じ、京都市長選や参議院議員選等を運営側や後援会側から支援。また、京都市内の他、松江市、高知市、神戸市、静岡市等、日本各地を視察する。
卒業論文は「日本語のキャッチコピーに見る記号の意味決定に果たす役割」。以前から興味を持っていた日本語の句読点に関して、実際の広告を題材に統計をとり、その機能を紐解く。ひとつのことを論理的に考える、素晴らしい体験となった。
マーケティング専門の出版社株式会社宣伝会議に入社。休祝日も返上するような毎日だが、日本随一のマーケティング専門メディアの立場を活かし、コミュニケーションの重要性を学ぶ。
子どもたちの指導者として、ボーイスカウト活動を再開。教えると言うことを通して、自分自身も人間関係について気付かされた。
市内各地で、イベントの企画・運営・出店等に参加。
多くの人と会い、話し、笑うことで、流山の良さも、どんどん気付く。
大好きな流山で、人と人、人と自然、人と文化をつなぎたい!
市内での活動を精力的に行うため、2014年12月をもって、会社を退社。
2015年 流山市市議会議員選挙に立候補、初当選(1902票)。
出会いに恵まれ、若手市議会議員の会、流山青年会議所などにも活動の幅を広げる。
2018年には流山史上最年少で、教育福祉委員会副委員長に就任。
2019年 流山市市議会議員選挙にて再選(2815票)。
2021年には流山史上最年少で、市民経済委員会委員長に就任。
更に、後期高齢者医療広域連合議会議員に就任。
現在に至る。
議場での挨拶